フラスコの中に漂う

何だろうと覗き込む力を

ひらり

最近名前を自分に付けた。ひらり。

どうしようもなく名前を変えたかった。思い切り完全に違う名前にしてしまうか悩んだけど、余りにもわたしを、ひらぐりさん、と呼ぶ人が多すぎたので、やめた。それはそれで別に良いかと思ったのだ。新しい名前は、生まれ変わるというよりは新しいフォルダを付け足すイメェジだ。新しいわたしのフォルダが欲しかったんだと思う。

 

実は"わたし"という名前にするかどうかとても悩んだ。わたしにはわたしという一人称が似合ってると思うし、それならそのままでいい気もしたからだ。大体、アーティスト名にしようと思った胡桃 君という名前も、先生がわたしのことを君、と呼ぶから付けようと思った名前だ。一人称や二人称に拘りがあるからそれを付けようとしがちらしい、、、

 

わたしを好む人間も好まない人間もどちらもそれなりに居るとは思うのだが、どちらにしてもわたしはわたしなりにやるしかないと思っている。きっとどちらの立場の人間が居てもおかしくない物ばかり作っているだろうから。それでも好んでくださる方は大切にしたい。それができるかも分からない。ただ、そうしたいと思っているのは本当だ。

 

しかし、わたしは上っ面が見抜けない程には正直すぎる人間で、他人が嘘を吐いてるのがよく分からないし、後から気付いて傷付く事も、まあ、よくある。だからお願いだからわたしの前では全員等しく正直で居てほしい、と思う。良くも、悪くも。嫌われるのは仕方のない事だ。誰にでも合う合わないはあるし、最初に合ったところでその先も合うかは分からない。

 

ただ、何も知らないで丸きり否定するのだけは悲しいのでやめてほしい。部分的に否定するのは全く構わない。だけどある人間を100%否定できる材料を持った人間など存在するのだろうか。そうは思えない。自分自身だってまた、別の誰かから否定される材料を持ちうるのだから。稀に、その人が嫌いという理由で周りの人間にまで害を加えるような人間が居る。こういう人間が一番嫌いだ。基本的に嫌いとか、嫌な感情は何も生まない。感情の無駄遣いだ。それならもう二度と見ないようにして、全く別の世界で生きた方がよっぽど賢いし、幸せだ。

 

さて、何の話がしたかったんだっけ、そう、名前の話だった。

ひらり、という名前は、フリルたっぷりのスカートを翻すイメェジだ。だから漢字表記だと、"翻"と書く。初見殺しかもしれないが、良い当て字がなかったというのもあるし、漢字も気に入ったのでこれにした。何より、平仮名表記がとても可愛い。これは重要な事だ。苗字とのバランスも悪くない。実はわたしは濁音が好きじゃない。苗字ごと変えたかった理由の主なものはこれだ。濁音は可愛くない。どちらかというと硬いイメェジだ。良く考えてみると、わたしの本名はかなり硬い気がする。ボーイッシュというか、中性的だ。それよりも多分もっと可愛い何かになりたいんだと思う。わたしにとっての自分なりの可愛いはたくさんあって、それで混乱させてしまってるかもしれないが、どれもわたしにとって大切な自分だ。ピンクも黒も赤もグレーも青も水色も白もオレンジも緑も好きなのだ。どれも欠けてはいけないのだ。

 

愛を込めて。