フラスコの中に漂う

何だろうと覗き込む力を

勘違い

あー、緩やかに朽ちていくわたしの中の君の姿は、それでも鮮やかで絶対で、未だに好きだなあなどと思うのはどうしてなんでしょう、眠いなあ。

 

記憶というものは他の沢山の記憶や思想ででねじ曲げてしまうものですから、わたしの中の君は、ねじ曲がって、ねじ曲がって、もう妄想でしかないのかもしれませんね。それでもそれはほんの少しでも君の欠片で、それを忘れたくないのです。大切な友達に言われて気付いたことです。

 

君のこともそうじゃない事も、わたしの海馬には酷い記憶が沢山あります。酷い記憶をしばしば、いや、頻繁に思い出します。それはわたしにとってオートマティックなものですから防ぎ様が無いのです。困ったものです。

 

自分が信じていた人たちに、それなりの裏切りの様なものを受けた事をしばらく忘れられないと思います。いや、最初からわたしが勘違いをしていたんでしょうね、きっと。裏切りだというのでさえわたしの勘違いなのだと思います。それでもわたしはわたしなりに彼らが好きです。会えて良かったと思います。また会いたいとさえ思います。彼らがいなければ、当時のわたしはとても生きていけなかったでしょうから。関係が虚偽のものであってもそれは変わりません。だから良いのです。裏切られようが、裏切られまいが。ただ、それなりに悲しかった事だけ良く覚えています。それは知って欲しかったです。

 

君のことでも悲しいことは沢山ありました。君はわたしが傷つく様な事を平気で言う人でした。いや、それだけ心を開いてくれていた事は何となく分かるのですが、わたし以外の人間にはそんな表現を使うのはやめてくれよお願いだから、と少し冷や冷やしていました。君に嫌われた理由も、わたしが悪い面もあれば、君が心をわたしにある程度開いているからこそ、の様な部分があったからの様に思います。いやこれも勘違いかもしれない、、、分からない、分かるのは君は君なりに努力をしてくれた、という事です。それならそれだけで良いのです。うれしい。ごめんなさい。

 

 

何か一つを疑うと全てが疑わしくて、結局全部幻想なのだと思います。それでも良いと思えるか、そうじゃないかというだけです。それでも良いと思える事だけを信じれば良いのです。それが現時点でのわたしの答えです。

 

 

それでは、愛を込めて