フラスコの中に漂う

何だろうと覗き込む力を

All about,about All

"全て"という言葉が嫌いです。そんな物は存在しないからです。少なくとも人間には"全て"という物はあり得ません。余りにも絶対的で沢山のものを否定する言葉です。

 

しかし、あらゆる事象を理解する為には必要不可欠な言葉であり概念です。特に理数系に於いてはとても重要です。ぱっと思いつくのは宇宙や物理学科学量子論、極限概念など。とにかく"全て"という物は機械的で数学的で実際的な物ではありません。

無限に続いていく物の果てしなさは、リバティプリントの布を見ている気持ちになります。リバティプリントは永遠に同じ柄が続いていくのです。どこまでも。どこまでも。

 

例えば誰かの全てを理解できたとしましょう。心も身体も生い立ちも思考や思想さえも。

それは幸福なのか?不幸なのか?考えたくありません。知りたくありません。しかし時々憧れてしまう事があります。それは不思議な物でその人を理解したいからなのか、支配したいエゴなのか、何とも言えません。自分の浅ましさに嫌悪感さえ覚えます。ああ、でも、知りたい、沢山知りたい、溢れるほど知りたい。気分が悪いです。もしそんな日が来たら、わたしは何処の誰にも会いたくなくなると思います。

 

きっと我々の心にとって、"全て"という物は余りにも極端に色が強すぎるのです。色の三要素、という言葉があります。色相、彩度、明度。色相と彩度は誰しもその時その時で変わってくる物です。恐らくわたしたちにとって重要なのはもっと細やかでほんの些細な明度、グレースケールなのです。機敏の分かる人間でありたいです。機敏の分からない人間は無意識に他人を傷つけます。そうはなりたくありません。

 

 

最近、身内の人間を褒めちぎってしまいます。顔を合わせる度に褒めてます。身体の方は正直いまいち調子が悪いのですが、とても気分が良い日が多いです。自分なりの表現に取り組めておりやたら忙しい気がします。もっとやらないといけない事もあるのですが、、、そっちも頑張ります。

 

では、愛を込めて