フラスコの中に漂う

何だろうと覗き込む力を

わたしが表現をやる理由

もちろん自分がやりたいからとか思いつく事を具現化したいから、みたいな、そういう理由も正直ありますが、わたしが最近思い当たった理由の一つをここに書きます。

 

わたしは好きな人が沢山いる人間です。しかしわたし自身があまりにも人間として未熟で、伝え方が悪くて、関わり方がなってなくて、好きな人ほど嫌われてしまいがちです。本当に沢山いるんです、一方通行に愛している人が。嫌われてさようならしてしまった人が。とても悲しいです。彼らを思うとやりきれません。いつでもわたしが泣ける理由はそれです。号泣する準備はできています。

 

わたしは彼らに誇れる人間になりたいのだと思います。わたしを嫌いになってしまったけど、もう一度関係をやり直しても良い、今のわたしなら受け入れられる、そう思って貰えるような人間になりたいのです。彼らに愛されたいのです。なんて浅ましいのでしょう。きっとだからわたしは駄目なんです。きっとだから嫌われてしまったのです。今現在、わたしを愛してくださる方、沢山いるのを知っています。しかし、わたしを愛してくださる方々じゃ無いのです。わたしが愛する人の気持ちが欲しいのです。ほんの少しでも。遠くても。直接関わらなくても。彼らがわたしを認めてくれた時、わたしは初めて満足を得るのでしょう。だからわたしは広く認められたいし、その為の努力なら幾らでもします。幾らでも祈ります。幾らでも懺悔します。それだけです。わたしが浅ましいあられもない人間だという事をここに告白します。