フラスコの中に漂う

何だろうと覗き込む力を

昔描いた夢で②

次の転機、わたしにとっての決定打は、高2の4月の終わりだった。

 

前述のガールズバンドで5月4日にライブに出てくれないか?と先輩に頼まれたのである。しかし、とにかく時間がなかった。メンバーは全員で4人だったのだが、yesが3人、noが1人だった。だけど先輩がどうしても出てくれ、出てくれる人が居ないとライブ自体が無くなってしまう、と頼み込まれたので、必死に出れるよう考えた。そこで出した結論はこうだった。

 

"ガールズバンドで出演するのではなく、とりあえずすぐに曲を覚えられる人を借り出して即席バンドを作る"

 

そんな都合の良い人間が居るのか?居たのである。それが後のわたしの恋人、先生であった。

 

先生はわたしたちの世代の中ではまあまあの有名人で、本格的にバンドをやってる先輩と1年の時からバンドを組むほどドラムが上手いこと、頼んでからすぐ叩けるようになる事からバンドサポートに引っ張りだこだった。先生の連絡先は軽音部室の黒板にデカデカと書いてあって、彼にコンタクトを取るにはまずはそのメールアドレスに依頼のメールを送れば良かった。返事はすぐに帰ってきて、よろしくお願いします、との事だった。

 

それからはライブまで必死にスタジオに入って練習した。なんせ練習期間は1週間もない。曲を覚えることを考えたら実際合わせられるのは4日くらいだった。先生とわたしたちが元々知っている曲をなるべく選んで5曲決めた(とは言えわたしはそもそもバンド音楽の素養が無かったので多分この時3曲くらい新たに覚えた)。とにかく必死だった。結果、このメンバーでバンドを組む事になる。あまりにもふざけた名前のバンドだ。

 

これをきっかけにわたしは先生とあっという間に仲良くなり、話すようになってから1ヶ月足らずで付き合う事になった。まさに今日がその記念日で、もう8年になる(歳がバレる)。

この頃が1番煌めいていた気がするし、今でもその輝きとメンバーの事は忘れられない。それぞれが色んな活動をやっていて、わたしはそんな彼らをこっそり応援している。

 

わたしは先生に、コピーバンドの意義についてこう言った。

「わたしというフィルターを通して曲の世界を伝えたい。」

昔描いた夢でわたしはフィルターだった。わたしという声で表現で曲の新たな面や自分のいろんな面を伝えたかった。今でもこの頃の意識は少しある。しかしあの煌めきを常に越えていきたいとも思うのだ。