フラスコの中に漂う

何だろうと覗き込む力を

同じじゃない夜

ブログを書き始めた事により、それほどではないとは言え少し纏まった文章を書く機会が増え、小説を書くモチベーションが復活して来ました。

 

今からちょうど2ヶ月前、僕は、とある人間が別のとある人間を好きになってしまう物語を思い付いて、居ても立っても居られなくなり、衝動的に小説を書き始めました。しかし、僕は大変残念な事に、きちんとした論文を書いた経験すら無い人間なので、小説といった、表現に数万字を要する文章を書いた事が無く、とても大変な思いをしました。内容や筋道は自分の中にあるのですが、それをどう膨らませてゆとりや広がりや含蓄のある文章にするか、という事がとても難しい。それらは美しい文章には欠かせないエッセンスです。それが無くては文学とは到底言えません。

 

僕は美意識が必要以上に高く、自分が表現するものにはある程度以上の美しさを求めてしまいます。それが自分自身の首を絞める事も、しばしばあります。その時もまたそうでした。小説を書いた事も無いのに、いきなりそんな事を自分に課すなんて、愚か極まりないですね。全く困ったものです。

 

それでも何とかどうにか折り合いをつけ少しずつ物語を進めていき、やっと1番最初のフェーズだけは書き上げました。原稿用紙にして40枚分程度の文章です。掛かったのは1週間でした。本格的な文章書きさんには質も量も遠く及ばないとは言え、この時点で既に僕の生涯の中で書いた文章で1番長い文章になりました。

 

しかし、それ以来わたしはその物語を綴る作業を放ったらかしにしてしまいました。

考えられるのは、普段使わない脳味噌の一部を使って疲れてしまい、フリーズしてしまった、ということなんだと思います。その後1週間は何もできず、ボーッとする事しか出来なかったと記憶しております。PCの小説を書くための画面を開いても、カーソルがぼんやりと点滅するのみで、バーがそこから動くことはありませんでした。

もう一つ、大きな要因は、物語としての余りのきりの良さに、登場人物同士の関係をここから更に進めてしまって良いのか?と思ったからでした、これ以上2人の関係を押し進めてしまったら、どうなってしまうのだろう?わたしはわたしでいられなくなるかもしれない、と、そういう不安がわたしを襲いました。

 

わたしは、なんていうものを書き始めてしまったのでしょう。恐ろしいことです。自分で自分を丸切り否定する事を、平然とかいていたのかもしれません。しかし、違うかもしれません。まだ何とも言えません。まあ、そういうこともありますね。

 

 

ひたたん、、、ひたたん、、、ひたたん、、、と水道の水が漏れていくのを聞いていました。そんな夜です。あなたはどんな夜をお過ごしですか。