フラスコの中に漂う

何だろうと覗き込む力を

心地の良い憂鬱について

はじめに、僕は"憂鬱"という言葉に纏わり付いた嫌なイメェジを払拭する為にこの文章を書き始めました。

 

憂鬱、というものは特に嫌なものではありません、そう思うのは、僕の意識がはっきりしている時間の殆どは、良い意味でも悪い意味でも"憂鬱"だからかもしれません。

憂鬱、というものは誰にでもあるものですし、誰にもでも芽生えうる、普遍的な物です。それを嫌な物だと定義してしまうのは、余りにも安直で情緒のない事だと僕は感じます。

 

分かりやすい憂鬱の1つに、恋、というものがある気がします。恋、という気持ちは内向的で薄気味悪く、じっとりとした粘っこい気持ちです。それを憂鬱と呼ばないのなら一体何が憂鬱なんでしょうか。

 

僕は毎日沢山の人に恋をします、何度も恋をする人もいれば、たった一度きりの人もいます。しかしその気持ちがそこにその時ある事だけは真実です。恋はまた、陶酔でもあります。僕は何かに酔いしれている時、液体の中に揺蕩うような感覚を持ちます。それはとても心地の良いものです。そう、憂鬱は決して悲しいものでは無いのです。心地の良い憂鬱というものを、あなたは知っていますか

 

 

僕は"リリイ・シュシュのすべて"という岩井俊二監督の映画が好きです。この映画に登場する、リリイ・シュシュという歌手がいますが、彼女の音楽、声、言葉、そのすべては、僕に手軽に心地の良い憂鬱を提供してくれます。

 

Lily-Chou chou/エロティック

https://youtu.be/r0aUBm4eWts

 

  夢の中に入り込んだ

  イメージのかけらから

  あなたが欲しがってる物を探し出してる

 

  紅茶の中に映ってる

  曇った空のグレイ

  あなたが持ち上げていって昼に溶けてた

 

  好きなのはあなたのすべてじゃなくて

  風のような傷跡のような海の響きのようなエロティック

 

僕にとってリリイ・シュシュの音楽を聴くことは、ある種麻薬の摂取の様なものです。この憂鬱の波に漂う事、酩酊感に身を任せる事、それに僕は夢中になります。それは、好きな人と接吻する事と似ています。違うのは、柔らかいか柔らかくないか、くらいです。あの切なさを思うと、僕は幸せな憂鬱に支配されるのです。

 

リリイ・シュシュと同じ温度の音楽に、ドビュッシーの音楽があります。ドビュッシーを知らないあなたには、アラベスク、という曲を聴いて欲しいです

 

クロード・ドビュッシー/アラベスク第1番

https://youtu.be/Qc3zHVcCMcQ

 

僕は、アラベスクを聴き始めてものの数秒で、あまりの憂鬱さと美しさに、泣きそうになります。ドビュッシーの音楽は、間違いなく液体だと思うのです。揺蕩う為の音楽です。

 

僕は生温い液体の中に漂う事に心地良さを感じます。そもそも、僕たち人間は最初、お母さんのお腹の中で羊水という生温い液体の中でぷかぷかふわふわしていた訳ですから、当然の事のような気がします。ちなみに、僕は42℃のお湯に浸かる事は、少し苦手です。あれは熱すぎるのです。

 

憂鬱、というものをとても簡単に感覚的に説明すると"自分によく分からないもやもや"という事だと思うのです。よく分からないからこそ嫌だし、気持ち悪く、薄気味悪いのでしょう。しかし、よく分からないなりに憂鬱に向き合うと、沢山の事が分かります。自分がどんなものに不快になるのか、とか、自分がどんなものに興味があるのか、とか。憂鬱は新しい自分を教えてくれます。

 

僕は、正体の分からないもやもや、すなわち憂鬱から美しさを見出す事が多いです。正体は分からない、何が言いたいかわからない、しかし、美しい事だけは分かる。美しければ良いと、僕はそう思います。それならば憂鬱に身を任せる事の何が悪いのか。美しさがそこにあるなら、それが真実です。正体なんて分からなくて良い。ただそこにある。大事なのは憂鬱かどうかでは無いのです。そこに何を見出すかなのです。

 

 

この文章を読んで下さった、あなたの憂鬱が、少しでも心地の良いものになりますように。