フラスコの中に漂う

何だろうと覗き込む力を

洋画と邦画(虚構)

わたしは洋画の良さが分かりませんが、毎日家では洋画が流れていて、それを唯のBGMにして晩ご飯を食べます。邦画は、感情が揺さぶられすぎて疲れるのと、そうでなければ情報量が少なすぎる事に耐えられず飽きてしまいます。

先ずは君の存在を確かめる為に君の居ない街を訪れようなどと今日は思いました。君が目の前に居る事に、わたしは余りにも慣れていなかったからです。しかし、今は外に出ることが出来ず、窓から春の音や匂いや温度が流れてくるばかりで、君どころか誰にも会う事は出来ないのでした。だから洋画を見ようと思いました。いつもBGMにしている音の意味を初めて知りました。しかし、やはり良さは分かりません。ドーンとかバーンとか、そういう音ばかりが耳に入ります。それ以上の何かなど、そこに存在しなかったのです。時間を無駄にしてしまいました。悲しいです。悲しい時にはドビュッシーを聴く事をわたしは決めていました。わたしはアラベスクをとても新鮮な気持ちで聴きました。破壊音を聴いてからのアラベスクはとても静かで、それは例えば枯れ葉が落ちる音でした。ポロロンポロロンと空気を揺らす音が流れていきます。わたしはそれが水滴みたいだな、と感じたのでなんだか水を飲みたくなりました。水を普段美味しいと感じる事は無かったのですが、この時だけは美味しく感じられる様な気がしました。台所に向かい、フローリングをほんの少しずつ汚します。ガラスのコップを手にして蛇口を捻り、水が勢い良く注がれます。それをわたしは口元に持っていき、水の匂いを感じ、そうして飲みました。やはり水は美味しくなく、カルキの味と薄い何かの味とが綯い交ぜになった味です。悲しい。悲しみがやんわり襲ってきました。そして、追い掛ける様に衝動が。わたしは手の中のコップを割りたい衝動に駆られました。力一杯フローリングに投げつけ、飛散させ、破壊音を出し、そしてその上を思い切り笑いながら踊ってやりたい気持ちでした。そうできたらどれだけ良かったでしょう。わたしの中の意外な理性がそうはさせませんでした。大人になるということはこういう事なのです。こういうことばかりなのです。