フラスコの中に漂う

何だろうと覗き込む力を

子供の頃の話を少し、

わたしの両親はとても親バカで、欲しいものはある程度以上手に入ったし寧ろ欲しがるより前に与えられていた。

 

もっと言えば産まれる前から与えられすぎていた。所謂胎教である。母のお腹の中にいる時からクラシックを聴かされたり、美術館へ行ったり、絵本を読み聞かせてもらったり、英語のビデオを見せられたり。生まれてからも赤ちゃんなのに大人と同じようにプラスチックではなく陶器の食器を与えてもらったり(壊したりはしなかったらしい)。そんな風に過剰なほど愛を注がれていた。

 

それが悪かったのか、良かったのか、中学生まではなんやかんや色々ありつつもわたしは田舎に住んでるなりに優秀だった。無駄に優秀だったからこそ、学校の人間が下らなくて下等で下世話で耐えられないことも多く、母と玄関で取っ組み合いの喧嘩をしたりしながら遅刻して行ったこともあった。朝の取っ組み合いの末にカーディガンのボタンが千切れたことを覚えている。母はとにかくわたしの教育に必死だった。とにかく地域で1番の高校に入れることに拘っていた。というか、産まれる前から優秀な人間を育てる事にとにかく拘っていた。

 

わたしも地域で1番の高校には行きたかった。なぜなら私服の高校だったからだ。でもそれ以上の理由は特に無く、同じ私服なら定時制の高校でも別に良いと思っていた。それか少し離れたところにあるめちゃめちゃ制服の可愛い高校に行きたいとさえ思っていた。1番嫌だったのは2番目に優秀な高校に行く事だった。この学校は下手すると大正の頃から制服が変わっておらず、当時のわたしからしたらダサさの極みだったのだ(今見るとクラシカルで学生としては楚々とした悪くないデザインだと思う)。とりあえず、わたしは当時から可愛さにしか興味がなかった。

 

そんな感じで地域で1番の高校に入学したわたしだが、入学2日目のテストの結果で心を折られる。255位/315人。こんな数字は初めて見たので衝撃を受けた。いや、よく考えてみれば当然なのだ。わたしは優秀ではあったが中学の時でさえ1位を取ったことは無く、良くて2番、普段は3番みたいな感じで、絶対的な1番の子がいつもいて、その人には勝てない事を悟っていた。ここにはそのくらいの人が沢山いるんだ、ということを初めて目の当たりにしただけである。それはわたしにそれなりのショックを与えた。わたしは勉強に向いてないんじゃないか?ただ親にやらせられて時間とお金を費やされて押し付けられてるだけでは無いのか?というかそもそもわたしの優秀さもただの遺伝や教育がそこそこ良かった結果であって、わたし自身の実力では無いのではないか?疑問系というより、寧ろ確信に近かった。それじゃあ、全然別のことをしよう、その方が良い、とそう思った。

 

その後、今まで音楽をやった事もない、音痴だと思っていたわたしがヴォーカルとしてノリと勢いでバンドを始める話は、また今度。