フラスコの中に漂う

何だろうと覗き込む力を

ミスiD用に書いたけどボツにした文章


個性とは何だろう。自分とは何だろう。他人とは何だろう。そんな事を延々考えている気がする。他人と関わるのが好きだ。自分が見えてくるしその時だけはその人に最も近い他人になることが出来るから。だけどそこで見えてくる自分という物は余りに部分的で結局わたしという存在を認知しきることは出来ない。わたしはわたしを持て余している。自分を表現するのが好きだ。自分とは何なのか分かりもしない癖にそんな事をよくわたしは曰う。多分いつも掌から零れ落ちる自分の一欠片を掬い取ってキャンバスに広げる作業なのだと思う。文字にしても色彩にしても音にしてもわたしにとっては同じでただ出力が少し違うだけなのだ。
君達がわたしの全てを理解出来ないようにわたしもまたわたしの全てを理解出来ない。しかしわたしの目に映るわたしはわたしなりに美しい。他の誰が何を言おうがわたしにとってわたしは美しいのだ。わたしの顔でわたしの骨格でわたしの肉付きでわたしの心でわたしの脳味噌で、わたし以外の何者にもなれやしない。完璧になんかなれやしない。しかしそれで良いのだ。わたしは自分は何かの天才だと信じて疑わない。君達はわたしをきちんと見てくれさえすればそれで良い。それで君達の秤や器が壊れようと構わない。わたしはわたしである事を誰かに受け止めて欲しいだけなのだ。どうぞ宜しくお願いいたします。